ひとりの商人|岡藤 正広 著

本を手に取ったきっかけ・感想

本書は日経新聞の連載記事「私の履歴書」をベースにしつつ、「私の履歴書」のスペースでは収まらなかった出来事や岡藤さんの思いを大幅に加筆したものです。

文章のテンポが良く、岡藤さんが経験した失敗や挫折、そして、これらととどう向き合ったのかが書かれており具体的にイメージをすることができました。

今回は岡藤 正広さんの著書「ひとりの商人」を紹介します。

この書籍がオススメの人
  • ビジネスパーソン

人生に取り入れたい文脈

本も読むだけではなくて、行動に移さなければ意味がありません。

個人的に共感した部分、覚えておこうと感じた部分、人生に取り入れてみたいと感じた部分を中心に取り上げています。

必ずしも書籍の内容の全体を俯瞰しているわけではありませんし、本記事は単なる要約ではありませんので、詳細は書籍を購入して確認してください。

順風満帆ではなかった

現在、著者の岡藤さんは伊藤忠商事の代表取締役会長に就任しています。

伊藤忠商事いえば、年収や就職の人気も高く、私が社会に出た頃は、日本の5大総合商社(三菱商事、三井物産、伊藤忠商事、住友商事、丸紅)の中でも非財閥系の雄と言われていた優良企業です。

そのような会社のトップに上り詰めた人物なので、華々しい功績があるのではないかと想像します。

確かに、華々しい実績もあるのですが、岡藤さんは決して順風満帆な人生やキャリアを歩んできたわけではありませんでした。

岡藤さんが反面教師と振り返る父親は、元々働き者でしたが、事業が軌道に乗ってから日銭で酒に溺れ、借金取りに追われることもあったそうです。

また、父親が掴まされた手抜き物件に住んでいたときには、台風で瓦や屋根が吹き飛んだこともありました。

自身と家族で住んでいた物件と、同じ頃、近くの駅前にできた当時の住友銀行の立派な独身寮とは天と地ほどの差があったそうです。

駅前にできた独身寮はエリートばっかりが住むところと井戸端会議で噂されていたこともあってか、岡藤さんの母親は、将来、息子が大企業に入ってサラリーマンになることを望んでいたそうです。

岡藤さんが社長に就任することが決まった際に、岡藤さんの母親は涙を流して喜んだそうです。

また、岡藤さんは2浪しているのですが、1回目は結核でなすすべがなく、2回目は東京大学の学生運動で受験が中止になったそうです。

このように、伊藤忠商事に入社するまでも苦労が耐えない生い立ちでした。

伊藤忠に入社してから20代の頃は使えないと言われ、中々営業現場に出ることができず、営業現場に出るようになっても、最初は、一言もしゃべらずにメモだけ取っておけと先輩に言われ、実質カバン持ち状態でした。

社長になるまでは繊維事業一筋で、海外の駐在経験もなかったそうです。

本書の魅力としては、岡藤さんのサクセスストーリーを知ることができることよりも、失敗や挫折に対して、岡藤さんがどのように向き合い、今につなげているのかを知ることができる点にあると思います。

悪平等

悪平等は組織全体の活力を損ね、生産性を押し下げます。

イノベーションを阻害する要因ともなります。

岡藤さんがトップになって、評価や報酬のあり方を変えました。

以前は個人の成績が良くても、業績が悪い組織に属していたら報酬は上がらなかったそうなんですが、個人の成果や努力に対してより報いることができる制度に改めたそうです。

そうしなければ優秀な人材が埋もれてしまいます。

人が財産の商社にあって、これは致命的なのです。

この改革は岡藤さんの2年の浪人経験から着想されています。

2回浪人することになったのは、結核も原因としてはありますが、単純に勉強の仕方が間違っていたと振り返っています。

学校の授業は平均的な生徒に合わせる必要があり、できる生徒はあくびをし、できない生徒はついていけません。

「こんな悪平等に付き合っていられない」と、学校の授業を無視して独りよがりな勉強を始めたことが失敗の原因だったと振り返っています。

社会に出ても、できる子やできる事業が存在する一方で、そうでない子や事業も存在しますので、それぞれ伸ばし方は違って良いだろうと考えました。

付加価値とイニシアチブの追求

岡藤さんが今も社内で繰り返し言っていることとして、以下のようなものがあります。

「付加価値とイニシアチブを追求せよ」

「伊藤忠がいないと成り立たないようなビジネスを常に考えて創り出せ」

岡藤さんは繊維の世界での現場経験が長かったのですが、繊維の世界における商社のビジネスは、メーカーに言われるがままにモノの流れを差配して口銭を得る古いモデルで、問屋への接待を競って差別化をするというものでした。

これでは、いつ仕事を切られてもおかしくありません。

当時、その中でも三井物産だけは取引先の御用聞きに終わることなく、少なくとも繊維の世界では頭一つ抜けていたそうです。

なにが他社と違うかといえば、三井物産は海外の人気ブランドと直接契約して問屋に紹介する一方で、直営店も展開していたそうです。  

同じことができる会社が当時はいませんでしたので、まさに付加価値とイニシアチブを確立したビジネスということになります。

このモデルを参考に、伊藤忠にしかできない付加価値を付け、自らが主導権を取れる契約の形に落とし込むのを目指しています。

当然、お客さんにもメリットが生まれます。

本書では、岡藤さんが三井物産を中心に財閥系の背中を常に追っていたエピソードが確認できます。

最初に井戸を掘った者が最後までやり抜く

ビジネスというものは最初に井戸を掘った者が最後までやり抜く覚悟を持ち、実際にやり遂げなければなりません。

岡藤さんは他社との争奪戦の末に勝利して、アルマーニとの契約を取り付けました。

その後、先輩の課長からあまりに熱心に頼まれたこともあり、先輩の課に契約後を預けることにしました。

しかし、これが失敗で、売れ行きは低調で、在庫がたまっている状態になりました。

海外のメーカーの多くが日本に進出する際、リスクを下げてなおかつ地の利を生かすために、商社のような日本企業を頼ってくることが多いそうです。

この段階では出資比率などの点でも海外企業は下手に出がちですが、顧客を獲得し仕事が順調に回り始めてくると、当初の態度が長続きしないことが度々なのだそうです。

日本進出がある程度軌道に乗り始めると、「日本のパートナーなどもはや不要だ」とばかりに、排斥に動き始めることが多いそうです。

まさに手のひら返しです。

このアルマーニの事例も任せていては低調なままなので、伊藤忠の関与を抑えて自分たちで日本でのビジネスの主導権を握ってやろうという思惑を露骨に見せ始めたそうです。  

手始めに伊藤忠の出資比率を下げ、それ以降は伊藤忠の存在感がどんどん低下していきました。

2000年に伊藤忠側が出資ではなく投資の形に改められると、2002年10月にイグジット*が完了しました。

*未上場企業や企業再生を目指す会社などの創業者・出資者が株式を売却し、投資資金の回収・利益の獲得を行うこと

2009年に輸入代行のビジネスも終わりました。

元々は岡藤さんがミラノでの交渉に挑んで契約に取り付けたものですが、契約から20年余りで、両社の蜜月関係は終わりを迎えました。

この経験から言えることは、最初にものごとに着手した人と、そうではなく引き継いだ人というのは情熱の熱量や汗のかき方が違うということです。

これは契約書に落とし込めないことですが、やはり相手にも伝わります。

大企業の場合、定期的な人事異動もありますが、人事異動の時期が来たから「はい、さようなら」では、個人だけでなく会社同士の信頼関係も築けないということになります。

蟹穴主義で勝ちグセをつける

身の丈をわきまえながら、もう一歩の努力で手が届きそうな目標をいかに作り、組織をそこに導けるかが岡藤さんなりのマネジメントの極意になります。

ヒントとなったのが、日本の資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一さんが著書『論語と算盤』で説いた「蟹穴主義」です。

蟹は自分の甲羅の大きさに見合った穴を掘るのだといいます。

身の丈にあった行動を取りながら、その甲羅を取り換えて成長していきます。

伊藤忠の事例に置き換えると、最初に手が届きそうな甲羅は、「純利益で総合商社の中で万年4位からの脱却」、次の甲羅は「非資源でナンバーワン」、次の甲羅は「純利益で総合商社の中で初の首位」、最終的には純利益、株価、時価総額で首位に立つ「商社三冠」の高みに立ちました。

少しずつ蟹穴を大きくし、勝ちグセをつけさせる仕組みを作り、優秀な社員の持てる力を最大限に発揮させました。


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