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本を手に取ったきっかけ・感想
「なぜ中学受験するのか」(著者は本書と同じ)で本書について触れられていて興味を持ちました。
偏差値の高い学校に入り、大企業に入ることが正解とは限らない時代に、子どもにとって中学受験を選択することが最も良いことなのだろうか、現在進行形で悩んでいる過程で知見を広げる一冊になりました。
今回はおおたとしまささんの著書、「正解がない時代の親たちへ 名門校の先生たちからのアドバイス」を解説します。
- 中学受験を考えている保護者
- 子育て中の大人
人生に取り入れたい文脈
本も読むだけではなくて、行動に移さなければ意味がありません。
ここからは個人的に、人生に取り入れようと感じた、文脈や文意をいくつか紹介していきます。
せこい損得勘定を刷り込むな
東京都医学総合研究所とロンドン大学との共同研究によって、60年以上にわたる大規模追跡調査の結果を分析したところ次のようなことがわかったそうです。
思春期の時点で抱いていた「興味や好奇心を大切にしたい」という価値意識(内発的動機)が強いと、高齢期の幸福感が高まり、「金銭や安定した地位を大切にしたい」という価値意識(外発的動機)が強いと、幸福感が低くなる。
この関係は親の社会経済的地位や、本人の学歴によらず認めらたそうです。
このことから何が言えるのかと言うと、若者に対して経済的な成功や安定を目指すように強調するよりも、自身の興味や好奇心をはぐくむ教育環境を作っていくことが、活力ある超高齢化社会の実現に向けて重要な対策であるということになります。
自分の子供時代を振り返ると、自分も含めて、安定した地位・職業を目指すように育てられてきた人は多かったのではないでしょうか?
私と同じか、私よりも上の世代は相対的に幸福度を感じづらい価値意識が育まれてしまっているのかもしれません。
お金や名誉があっても自由にはなれない
ここで「金銭や安定した地位を大切にしたい」というような価値意識に代表される外発的動機について解説します。
みんなが認める〝いい学校〟に行きたい
みんなが認める〝いい会社に入りたい
お金をたくさん稼ぎたい
有名になり名誉を得たい
というような願望は、ひとそれぞれの「自由」ではあるものの、それはあくまでも自分の外側にある権威や価値を前提にしたものです。
例えば、ほめてくれる他人がいなければ、有名になることも名誉を得ることもできません。
自分以外の何かに寄りかからないと価値が証明できない人生は、本当の自由とは言えないと本書では述べられています。
ぼーっとする時間を奪うな
子どもの可能性を色々広げたいということで、水泳にテニス、絵画など色々習い事をさせていた時期がありました。
いずれも最初は本人の希望で始めたものですが、スケジュールを詰めすぎたこともあり、これらの習い事で我が子に主体性が見られることはあまりありませんでした。
子どもはひまなときにこそ、自分の時間をどう使おうか考えます。
そこで自発性や主体性が芽生えます。
自分が、何を好きで、何をしているときが幸せで、何を欲しているのかを感じる時間でもあります。
それが「人生の羅針盤 (コンパス)」になると本書では述べられています。
反対に、ぼーっとする時間を奪われると、「人生の羅針盤」を使いこなせないひとになってしまいます。
主体性なく、なんとなく世間的に良いといわれる方向を向いて生きるしかなくなります。
我が家の場合は、小学校に入り、放課後学童で過ごし、その後、曜日によっては習い事をしていました。
子どもにもよるかもしれませんが、我が子の場合は負担に感じ始め、自主性や主体性を育む時間を、無意識に奪っていたのかもしれません。
生きる力を身につける
本書では「生きるためのスキル」と「生きる力」は似て非なるもので、「生きるためのスキル」をいくら集めても「生きる力」にはならないと述べられています。
それなのに、いまの教育論議は「子どもに何を教え授けるべきか」ばかりに終始しているということに対して、著者は課題意識を持っています。
それは、使うかどうかもわからないアプリを片っ端からスマホにインストールするような行為。
そんなことより大事なのは、将来どんなアプリでもすぐにインストールできるように、スマホそのものの性能を上げておくことではないかと提言しています。
進路選択で周囲から投げかけられがちな問いを例に挙げると、その進学先で「何か資格が取れるのか?」「英語は身につくのか?」「プログラミングスキルが身につくのか?」などでしょうか?
本書を読んで、中学受験の志望校の選び方として、「偏差値」や「身に付けられるスキル」、「大学の進学実績」以外にも重要な軸があることを知りました。
私学には建学の精神があり、その、目には見えない学校文化が、生徒の生き方に大きな影響を与えるようです。
それに比べれば、これらはおまけのようなものです。
この教育は、どうやったって親にはまねできないと述べられています。
家庭では伝えることのできない壮大な文化を得るために、子どもたちは学校に通うのだというのが本書執筆時点の著者の考えです。
そして、この壮大な文化が学校毎に身につけられる「生きる力」に相当するのではないかと私は解釈しました。
進学先を選ぶ際に、学校の文化も重要な判断要素だと感じました。
とはいえ、グローバル化やIT化が進むと、先述の「生きるスキル」を身につけられることに越したことはないのではないか?という反論がありそうです。
しかし、本書では標準化してしまったら、どんなに高性能であったとしても結局買いたたかれると述べられています。
みんなと同じモノサシで自分を大きく見せるより、ひととは違ったモノサシをつことが価値を発揮する時代がやってくるということになります。
中学受験を通し我が子のモノサシを見つける
「ひととは違ったモノサシ」について本書では心に残る良いことが書かれていたので紹介します。
親は社会一般に用いられているモノサシでわが子を測り一喜一憂してはいけません。
親がまずすべきことは、わが子の才能を最大限に評価できる独自のモノサシをもつことではないでしょうか。
例えば、
毎日コツコツ頑張る力、
良くない成績にも凹まない明るさ、
難問にも果敢に食らいつくガッツ、
自分が勉強で疲れているのに親のことまで気遣う優しさ、
つらいときにはつらいと言える素直さ・・・・・・などになります。
よその子に負けない才能をたくさん見つけ、中学受験という機会を通してそれをさらに伸ばしていることに常に注目してあげましょう。
そうすれば、よその子と比べようとも思わなくなるはずです。
変化の激しい時代においては将来自分がどんなことを武器にするかわかりません。
だからこそスペシャリティ涵養の前提として、汎用性の高い能力の土台を築いておくべきだということになります。
「夢をもて」は無責任
子どもが夢に向かって努力をしているのを見ると大人は安心するので、つい「夢をもて」と言いたくなります。
これは私を含め、多くの親がやってしまっているかもしれません。
でもそれは大人自身が早く安心したいだけという一面があります。
するとその夢は、「あなたの夢なんでしょ!」というように子どもに努力を強いるための圧力として利用されかねません。
無理やりこしらえた「夢」や「目標」に向かって、無理やりレールを敷かれてしまうということになります。
そういう大人に煽られて自分の夢を無理やりねつ造してしまうと、子どもは自分との対話をやめてしまいます。
自分をだますことに慣れてしまいます。
迷って、悩んで、そして腹をくくる経験が乏しいまま大人になってしまいます。
本当の自分の心の声に耳を傾けたことがないので、たとえば就活のときに苦労します。
自分が本当に大切にすべき価値観がないので、社会人になってから自分探しの旅に出てしまったりします。
私自身も自分の学生時代に経験がありますし、親としても気をつけようと思いました。
変化の激しい時代ですし、人は誰もが10年先を見据えられるわけではありません。
無理して10年後のことを決めるより、大事なのは、何を選択するかではなく、選択したあとに、「あの選択で良かったんだ」と思えるように努力をすることです(豊島岡・竹鼻先生)
人生における「決断」の良し悪しは、決断したあとに決まります。
自分の「決断」を事後的に「正解」にできる力こそ、正解がない時代に自ら正解をつくり出す力になるはずです。
それがあれば、どんなに先行き不透明な時代がやってきても、きっとたくましく生きていけます。
それぞれの教科の視点から世の中を見る訓練を積む
鴻上 尚史さんの著書「君はどう生きるか」で「たったひとつの正解」のある勉強は、多様な視点を身につけるためにあると述べられています。
あえて意図的に角度を変えて見てみることで、ものごとの本当の姿が浮かび上がってくるのであり、そのためにあえてそれぞれの教科の視点から世の中を見る訓練を積むことに意味があると本書では述べられています。
その集積がいわゆる「教養」になります。
もしさまざまな教科の視点を知らずにただ世の中を見ているひとがいるとすれば、そのひとは自分の好きな視点から見える部分だけを見ているだけです。