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本を手に取ったきっかけ・感想
本書は、パナソニックの創業者である松下幸之助さんの六十年の事業体験を通じて培い、実践してきた経営についての基本の考え方、経営理念、経営哲学をまとめたものです。
現在にも通じる内容ばかりで、とても昭和53年に書かれたものとは思えない内容でした。
110ページ程度の読みやすい書籍で、何度も見返すべき内容になっています。
今回は松下幸之助さんの著書「実践経営哲学」を紹介します。
- 経営者
- 個人事業主
- ビジネスパーソン
人生に取り入れたい文脈
本も読むだけではなくて、行動に移さなければ意味がありません。
個人的に共感した部分、覚えておこうと感じた部分、人生に取り入れてみたいと感じた部分を中心に取り上げています。
必ずしも書籍の内容の全体を俯瞰しているわけではありませんし、本記事は単なる要約ではありませんので、詳細は書籍を購入して確認してください。
自主経営
一概に他力の活用を否定したり排斥するわけではないですが、基本は自力による自主経営でなくてはならないとしています。
理由としては様々挙げられますが、本書では次のようなものが挙げられています。
安易感が生じ、なすべきことを十分に果たさなくなってくる
他力の活用も時には必要であることもあるでしょう。
その方が効率的な場合もあります。
しかし、人間はそういう状態が続くと、知らず知らずのうちに安易感が生じます。
外部の情勢の変化に影響されやすくなってくる
たとえば、他からの資金、すなわち借金が多ければ、金利の引上げでもあると、それがたちまち業績を悪化させることになります。
企業の体質としても、他力に頼るところが多ければ、それだけ外部の情勢の変化に影響されやすくなってしまいます。
例えば製薬業界でも同じような売上規模の会社であっても、自社創薬がうまくいっている企業とそうでない企業がありますが、そうでない企業も新たな創薬のために研究開発費を投じ続けなければ将来の成長もありませんし、株主に還元し続けることもできません。
研究開発費を捻出するために、売れるものもしくは臨床開発ステージが進んだものを導入をしたり、場合によっては企業買収をしなければなりません。
同じ売上でも、他から獲得した化合物・製品の場合、獲得時にもお金がかかりますし、売上が立つとロイヤリティも支払わなければなりません。
見た目上、同じような売上規模であっても、利益の圧迫度合いが全然異なります。
また、導入の条件として、販売地域が限定されるケースもあり、自社で自由に展開できない可能性があります。
一方で、自社創薬がうまくいった化合物の場合、自分たちで販売活動をしてもよいですし、メガファーマに導出して、彼らの販売網を活用し、グローバルに展開してもらって、販売活動費をそこまでかけずにロイヤリティ収入という形で収益を得ることも可能です。
このように、コアコンピタンスを持っているということは、ビジネスを有利に進めることができるのです。
共存共栄に徹すること
競争自体は大いにあっていいし、むしろなくてはならないものです。
しかし、行き過ぎた過当競争は弊害をもたらすとしています。
極端な例を挙げると、競争に勝つために一時的に採算を度外視したような価格で売り、適正な利益をとらないような競争です。
そうした過当競争が続けば、業界全体が疲弊してきて、場合によっては倒れるところも出てきます。
数年前にはQRコード決済で〇〇Payが乱立していましたが、PayPayなどが大盤振る舞いの還元を行い、現在は、乱立されたものが淘汰され、経済圏を築いているPayPayや楽天Payなど一部に絞られています。
このような場合、資本力の小さい中小企業は持ちこたえられず、資本力のある大企業ほど持ちこたえられるような、資本の横暴が起こりがちです。
消費者側からすると〇〇Payが絞られたのは結果的に良かったのかもしれませんが、もしある一つの特定の〇〇Payだけが圧倒的な勝者になると、競争によるサービスの向上や、魅力的なキャンペーンを企画する必要がなくなり、消費者にとっても利益があまり得られない結果になる可能性があります。
共存共栄できる程度にある程度の競争は必要ということかと思います。
経営適格者の退場を招く過当競争
過当競争の弊害として、本来能力があり、その能力を社会に還元できるはずの人が退場を迫られることによる不利益についても述べられていたので紹介します。
経営者の経営力がないために、事業が立ち行かなくなり倒産するというのは、やむを得ない面もあるでしょう。
しかし、資本力がモノをいう過当競争下では、適正利潤を得ながらの競争であれば十分やっていけるような経営適格者でも、退場を迫られることになってしまいます。
このように、過当競争は経営適格者をも倒すなどして、業界を非常に混乱させ、社会に大きな弊害をもたらします。
さらにお互いに適正利益が確保できないということになれば、それだけ税金の減収をもたらし、国家社会にマイナスとなります。
百害あって一利なしなのです。
利益は報酬であること
今の時代になってようやく、私のような一般人の耳にも、日本人はお金に対するマインドセットや向き合い方を見直さなければならないというような声が聞こえてくるようになりました。
具体的には、人前や家族の中であってもお金の話はあまりしないという考え方の見直しや、価値を提供したのにもかかわらずお金をもらうことに対して感じる罪悪感の見直しなどです。
確かに、過度な利益というか、いわゆる暴利はいけないかもしれません。
しかし、適正な利益は、企業自体だけでなく、社会全体、国民全体の福祉の向上のためにも必要不可欠のものであるという認識を、企業経営者はもちろん、政府も国民もはっきりと持つことが大切であると著者は述べています。
本書を執筆した当時の時代は今とは異なるはずですが、著者の松下幸之助さんは、経営する自社のことだけではなく、国や社会全体のことまで考えていた、広い視野の持ち主であることが分かります。
企業にとって適正利益を確保するということは、国家社会への税金、株主への配当、企業の使命達成のための蓄積という三つの観点からして、大きな社会的責任だと述べられています。

我々はこのことを明確に自覚し、このような利益の意義を、政府なり一般の人びとにもよく認識してもらうことが大切であると述べています。
確かに当時から、企業の利益は、国民の福祉に反する好ましくないもののように考える傾向が一部にみられ、それが政府や自治体の中にもあって、その政策を間違った方向に進める原因にもなっていたようです。
しかし、そうしたあやまった政策の結果、利益の減少、ひいては税収の減少となり、政府も困り、自治体も困り、国民の福祉も阻害されることになるのです。
赤字企業は社会的責任を果たしていない
上記のように適正利益は、企業、社会全体、国民全体の福祉の向上に重要と述べていますが、一方で赤字企業についても本書では言及しています。
当時から世間では、赤字を出した企業に対して、同情するような傾向はあったようです。
著者はこれも人情としてはわからないでもないとしつつも、これまでの文脈から、これらの赤字企業は社会的責任を果たしていないということを認識すべきだと述べています。
適正な利益をあげ、それを国家社会に還元することが、企業にとっての社会的な義務である以上、赤字を出すことは、基本的にはよくないことなのです。
専業に徹すること
コングロマリットディスカウントという言葉を聞いたことがあるでしょうか?
松下幸之助さんが本書を執筆した時代にはこのような言葉はなかったかもしれません。
事業を多角化している企業は企業価値が低く見積もられやすい傾向になります。

各事業の価値を合計して、企業価値を見積もるのが難しい一面があるのかもしれませんが、事業が多角化している分、人、モノ、金が分散してしまっており、企業価値の評価に影響している可能性も否めません。
著者は、それぞれの企業がもつ限られた経営力、技術力、資金力を分散するよりも集中的に使った方が、一番効果的でより大きな成果を生むと述べています。
必ず成功すると考えること
成功と失敗に対する考え方が参考になりましたので紹介します。
物事がうまくいった時に、それを自分の力でやったのだと考えると、そこにおどりや油断が生じて次に失敗を招きやすいと述べています。
実際、成功といっても、それは結果での話であって、その過程には小さな失敗というものがいろいろあるかもしれません。
一歩誤れば大きな失敗に結びつきかねないものもありますが、おごりや油断があると、そういうものが見えなくなってしまいます。
ここで、成功に対して「これは運がよかったから成功したのだ」と考えます。
そうすることで、小さな失敗についても、一つ一つ反省することになってきます。
反対に、うまくいかなかった時はそれを運のせいにしてはいけません。
今度は自分のやり方にあやまちがあったと考えれば、そこにいろいろ反省もできて、同じあやまちはくり返さなくなり、文字通り”失敗は成功の母”ということになってきます。
結果が成功したとしても、失敗したとしても、プロセスに注目をして振り返るべきということでしょうか?
個人的には特に成功したときが要注意なのではないかと感じました。
成功したという結果に満足して、意外と細かい失敗もあったプロセスの振り返りを疎かにしがちなので。